たまにはこんなお話も④

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過食嘔吐さえ無くなれば幸せになれる

と思い続けていたけれど

実際はそんな事なかった。

過食をしてもしなくても思い描いていた幸せなんて無かった。

 

というか、そもそも

私はどんな幸せを願っていたんだろう。

自分の無知さを痛感した瞬間でした。

 

 

症状があっても無くても

自分は自分でしかなくて、

これがあるから不幸だとか、なければ幸せだとかでもなくて。

 

摂食障害の症状さえ乗り越えれば

どこか悟りの境地?光の差す場所へ行けるんだと思っていたけれど、

そうじゃなかった。

 

摂食障害の症状は全て、自分の外側で起こっている事だったんだ、と。

 

もちろん、症状が無くなれば身体への負担も軽くなり、

脳の働きだって正常になる。

過食をしない。嘔吐をしない。それが正しい事だと思います。

 

だからと言って

「絶対に乗り越えなければ!」「治さなければ!!」「勝たなければ!」

というのはもはや症状に執着してる事と同じだ。

 

そう思いました。

 

私は今まで「辞めければ」「治さなくちゃ」とか

摂食障害になった原因探し(犯人探しのようなこと)をしていたけれど

本当はそうではなくて

「そうなってしまった自分を知る事」が何よりも大切だったと気がつきました。

 

治る治らないはもう自然に任せる。

それよりも

自分の中に隠していた部分をしっかり観ること。

そこに育った環境や経験や他者を巻き込まないこと。

そして言葉に出来るようにすること。

 

そう思えた事が寛解への一歩でした。

 

きっと、初期の段階でカウンセリングをちゃんと続けていれば

自ずとそれに気がつけたのかもしれませんが(笑)

 

これもすべてヨーガの道と出会う為だったのかもしれませんね。

 

もう一度ちゃんとヨーガを理解しよう。

 

ポーズを沢山出来るようになるためじゃなくて

ハッピーなヨガインストラクターになるための勉強でもなくて

上手なレッスンをするためでも、レッスンのマンネリ化を防ぐためでもなくて

 

自分の人生の為にちゃんと知りたい。

そう思って、改めてヨガの講座に通うようになりました。

 

•••

今日はここまで。

かなりゆっくりペースですいません。

読んでくれてありがとう!

 

ナマステ。