前回→☆
このシリーズも6回目。
もっと短く分かりやすくするハズだったのに、
理想と現実はいつも異なります。
毎度の事ながら亀さんペースの更新でごめんなさい。
摂食障害と正面から向き合うべくして
摂食障害者(でいいのかな?)としてヨーガにケタンの養成コースに通う事を決め、
初日にその旨を受講者全員の前で公表しました。
とても勇気のいる事でしたが、この行動はすごく良かったと思っています。
1番それを実感した出来事が何かと言うと、
授業内容のレポートを毎回ブループワークの中で発表するという機会が与えらたのですが
それが私にとっては最も重要でした。
レポート内容は主に、古典ヨーガの教典の中の教えを自分に置き換えて解説するというものでした。
私の場合はもちろん、摂食障害というテーマが課せられているので
自ずとそれに沿った内容でレポートを作成しました。
毎回4、5人のグループでヨーガの教典と自身の摂食障害についてを話す中で
最初の1、2回までは自分の中の秘密を暴露するみたいで恐る恐るでした。
聞いてくれる側も「そんな事があったのね、、うん、うん」といった風に
少し神妙な面持ちで受け取って、それに対してとても温かく寄り添うような言葉をかけてくれました。
その後3回、4回と回数を重ねるにつれて、
自分の中で変化が起きているのに気がつきました。
毎回メンバーが変わるため、聞き手になってくれる方々はいつも神妙な面持ちで温かく寄り添おうとしてくれます。
そんな中で、私は
「あ、大丈夫です。そんなに神妙になって頂かなくても、淡々と話せるんでどうぞお構いなく^^」
という気持ちになっていたのです。
その事に気づいた時に
「こんなにも淡々と悲劇的な感情を含めずに話せるようになってるんだ。今までずっと大事に握りしめて放さずにいたけれど、手放してみると意外と大したモノでは無かったんだな。それってつまりは摂食障害を患っている自分自身に執着していただけだったんだな。」
と思えたのです。
それまでは
(いやいや執着じゃない、病気なんだ。
人より辛い経験をしたから、なるべくしてなってしまったんだ。
これが無ければ生きられなかったんだ。。)
と自分を守っていたのですが、
もういい加減「執着してるんだな」と認めるしかありませんでした。
そして、認めたらなんだかすごく視界が開けたように感じました。
それから・・・
もちろんいきなり症状が無なった!やったー!
とはいきませんよ。笑
こればかりは20数年という日数を経て身体が覚えてしまったものなので
時間がかかります。
けれど、
執着しない方が楽だと気づけたら
症状が出てしまっても、自分を責めたり、過去のせいにしなくていいんだ。
荒ぶる波が落ち着くのを待って、またやり直せばいいんだ。
と自然と思えるようになったのです。
瞑想のステップと同じです。(これについてはまた後ほど書きますね^^)
瞑想の上達とともに症状も少しずつですが、確実に減ってきています。
1年365日だったのが
3日に1回、5日に1回、1週間に1回、2週間に1回、、
もちろん、その都度波はありますが減ってきているのは確かです。
それだけで、私は嬉しいのです。本当に。
•20年以上過食嘔吐に苦しんで来ました→年数に執着している
(年数が長ければ長いほど、苦しんだ経験が長いんだと勘違いしやすくなる。エゴの増幅)
•◯◯日過食してないぞーーーー!記録更新だー!→成功体験に執着している
(記録更新したときの落ち込みが激しくなる。負の連鎖が始まる)
•過去に体型をからかわれ、虐められました。→過去に執着している
(過去は今ではない)
他にもありますが
今まで自分で良かれと思って言い聞かせていた事も
こうして書き出してみると捉え方が変わるなぁと思います。
ただ、何が何でも執着と捉える必要はないとも思います。
返ってそれが自分を追い込む原因となる場合もあるでしょうし、
何が執着で、どれが自分の本心なのか
それを見極める為に必要なのが、自己と向き合う時間なのだと思います。
原因を探すんじゃなくてね。
病気を一旦置いといて、という事。
ヨーガが病気を癒してくれるのではありません。
ヨーガに執着してはいけない。
ヨーガや瞑想に取り組む事で、自分の思い込みを手放していくのです。
根気よく、根気よく、どのくらい時間がかかるかなんて考えずに。
病気を癒すのは、自分自身の持つ力です。
どんな人にもきっと存在している力だと、私は信じています。
今日はここまで。
なんだか予定と違う方向に流れてしまったように感じる今日の文章。
なんか最後の方、強制的にまとめに入ろうとしてましたよね?笑
書き直すのもアレだし、私が一番伝えたい部分なのは確かなんですけど、
間を随分飛ばしてしまったような気がするんだよなぁ・・・・あれぇ・・・?
・・・・ま、また続きはあると思いますので
のんびりお待ち下さい^^
黄昏直前の空。
空はいつも空。
それはきっと私も同じ。